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何も起きないおじさんの日常の一カケラ

沖縄旅行1日目 浜辺の茶屋

ここで僕は、ゼロになる。

日々のつらいこと、心配ごと、楽しみにしていること、
一旦全部ぷかりと浮かべ、流れる雲の行方や、
雲の影に変わる海の色を眺めたり、風の声や鳥の声、
虫の音に耳を傾けたり、手の後がつくまで頬杖をつく。

ゼロになる、始まりと、終わりを過ごすのに、とてもいい場所が
浜辺の茶屋さんです。今年もサンセットティーがいただけて、うれしい。

ありがとうございます。

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青葉市子さんのライブに行きました

通院後、青葉市子さんのライブへ。

彼女から発せられる声が、音となり、旋律となり、言葉となり、
物語がはじまる。世界はすぐに交錯しはじめ、僕はオーチャードホール
並行する、アダンの島へとたどり着く。

肌をつたう汗、ぬるい風、陽光を弾く瞳の虹彩、木の葉のざわめき、
星降る夜のダンス、ひやりとした地面、素足で踏む柔らかい草、
近くに、遠くに響く風の声、波の音、沈む身体、溶ける意識、海の泡、
生命の螺旋。

初めて今作を耳にしたとき、確かに感じたことたちが、
今日はより豊かに、あざやかに僕を潤してくれた。

ああ、しあわせな時間だった。

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カトレアのカレーパン

あれはわたしがまだ10代の頃か、20代の早いころか、
仕事帰りの母が持って帰ってきたカレーパンが美味しくて、
どこで売っているのか尋ねたら、森下にある「カトレア」という
お店のカレーパンだった。それからすぐに買いに行ったかどうかは
記憶にないけれど、大人になったわたしはそちらの方面を訪ねるたび、
カレーパンを買いに行くようになった。
と、いっても年に一度や二度くらいなものだけれど。

昔ながらの味付けの、マイルドなカレーフィリングはたっぷりで、
口の中に入れるとちょっと驚く滑らかさ。それを包む生地は、薄いのに
噛むとふうわり、もう一度噛むともっちりしている。
揚げ加減は確かに揚げているはずなのに、重さがなく、香ばしい香りが
アクセントになるだけ。口の中や周りがべた付くこともない、
おいしいカレーパン。

写真は普通のだけれど、撮影に先んじて食べてしまった辛口はもっとおススメです。

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チリムーロの焼き菓子

 渋谷と代官山の間にある焼き菓子屋さん。
営業日をちゃんと調べずに行って2度ほどふられていたのだけれど、
なんとご近所友達が僕の分も買っておいてくれた挙句に届けにきてくれた!

はじめに食べたキャラメルバナナのケーキ(写真左上)は、外側はサックリ、中は
しっとりしすぎず、ほろほろすぎずの好きな水分バランス。バターの重さや
香りを強く感じないので、軽快に食べ進められるけど、素材のおいしさと、
焼き加減がよいからか、物足りなさは感じず、あっという間に食べ終わってしまった。とても好きな味。

次は営業日を調べてちゃんと買いに行こう。
他のは明日以降のお楽しみ。

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母は偉大なり

近くにくら寿司が出来たので、昼休みに同僚を誘って行ってきた。
今はアプリで予約できるので、待たずに入れるので助かる

回転寿司はエンタメなので、仕事の愚痴はそこそこに、ハンバーグ寿司、
コーン軍艦、フライドポテト、メロンソーダなどなど、食べ合わせなんぞ
くそくらえで、とにかく食べたいものを頼み、これはおいしかった、
あれもおいしそう、次はあれを頼もう、という繰り返しの時間を楽しんでいる中、
同僚が「こんなに自分の食べたいものだけ選んで食べられる回転寿司なんて
本当に久しぶり」と、とてもうれしそうに、しみじみ語ったのが、
時間のたった今でも脳裏に焼き付いて離れない。

同僚は3歳と10歳の母で、普段回転寿司に行っても、食べ盛りの子供たちの
残したものや、シャリだけを食べるのことが多いのだそうだ。ああ、お母さんって
そうだよなあ。母って尊い

何でもないお昼の誘いなのに喜んでもらえてよかった。元気もらった。
子供たち、大人になったら親孝行しろよ!

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透明人間

仕事を終えて買い物に出かけたら、雨はやんでいたし、
じめじめだろうと思っていた空気は昨日ほどの重さもなく、
肌触りの軽い、ひんやりとした夜風が吹いていた。

天気予報を見た誰かからSNS上で教えられた今週の雨予報や、
まもなく梅雨に入るのだから湿気も引き続き凄かろうと思い込みのせいで、
昨日の夜からドライもいれっぱなしだったし、何だか、一日を自分の
頭と身体で過ごした実感があまりない。

明日の朝はカーテンを開けて、今日の天気を確かめよう。
周りがよく見える明るいうちに外に出て、空気の肌触りや
匂いを嗅いで、地面をけり返し、一日を身体に刻んで、
次の明日へたすきをつなごう。

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中年のボヤキ

過日、月の満ち欠けや気圧の影響が心身に変調を起こすことに気づいた、という
ことを書いたけど、それってよく考えたら(考えなくても)若いころは、
そうしたものを跳ね返すだけの体力と、気づこうとしないバカさが
あっただけで、年を取ったら体力がなくなって影響を受けやすくなった、
または影響を受けていることに気づきやすくなっただけだよな、という結論に
至った。ああ愚かなりオレ。

40を過ぎたら、だの、中年になると、だの、会話はじめに色々な接頭語が
つきやすいお年頃だけど、それって、そういう変化が始まるターンって
ことなのね。てことは、てことはだよ。人生約半分生きてきて、別のフェーズが
始まったばかりなのだから、わからないことだらけ、変化を受け入れ始めている
段階だもの、そらあ不安にもなるし、過敏にもなろうってなもんだ。
つい最近まで、何で中年ってものはこんなにもろいものなんだ昔は違ったのに、
って、思い込んでたけど、そういうことなんだな。
私の人生一巡して2巡目はまあ3歳やそこらなんだから、今はあれこれ神経質に
受け取りすぎず、日々自分の身体と心に耳を傾けて、生きていてもいいのかも
しれない。

気づけばすっかり中年日記。



紫陽花の花が咲き始めました。
去年もこうして紫陽花の写真を撮った。何だかんだ、健やかに過ごしている。

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